

着替えるようにイメージをコントロール GR編
最初にちょっと難しいことを言うと、ロラン・バルトはみんながスタイルと呼んでいるようなこと、つまりカメラのフォーマットとか色合いとかいったことはエクリチュールと呼んで「それらは着替えるように交換可能なのだ」と。 で、その着替える人の体型や、服の好み、着こなしのセンスのように、年月によって形成されたものこそがスタイルなんだと。(エクリチュールという言葉に対して正しくいうならスティル) ついでに書いておくと、そのファッションの価値(オシャレだとか、今っぽいとか、ドレッシーだとか)は時代や文化、受け止める人たちによって定義されるから、その土壌(ルールと言ってもいい)をラングと定義しました。 バルトらしいのは、そう呼ぶことが正しいんだと提案するのではなく、新しい言葉を持ってきて視点を変えることで、それまで見えづらかったものをバッサリと切り分けてしまうところ。
大事なのが、エクリチュールを変えるとスタイルにも影響を及ぼすと指摘したこと。ライダースジャケットを着て細いブラックジーンズを履くと、ちょっと悪ぶった口調になるみたいな。ドレスやハイヒールにもそういっ


2021年 聴けてよかった落語 best10
今年は映画や音楽で「10年先も忘れないだろうな」と思う新作に出会えなかったです。
どちらも人と人との関わりで作られ、洗練されていくものだから、それが分断された今の状況を考えたら、仕方のないことだったと思います。 そういったものから滋養をもらい、刺激を受けることが、自分にとってどれだけ大切だったか、痛感することもありました。 その物足りない心を埋めてくれたのは落語でした。
寄席もコロナの影響を受けて客が激減して、”不急ではないけれど不要とは思わない”という発言で都の要請に従わずに営業を続けようとしたり、それを断念した代わりにクラウドファンディングでファンが支援したり、噺家たちが手を結んで「できることはやってみよう」と配信を充実させたりしていました。
僕も一票を投じるつもりで、なるべく寄席やホールに足を運んで生で落語を聞くようにしました。正直に言って自分のことで精一杯で、他の業界のこと心配している余裕がなかったですが、芸に対してお金を払う、それを信じる人たちがいるってことに、自分なりに関与したかったのだと思います。
全てがライブで、瞬間ごとに変化し