©1994~ Yukio Uchida

Yukio Uchida
2017年2月4日

CP+ができるまで #2

2件のコメント

最終更新: 2017年2月4日

Macを買ってKeynote(Macに同梱されているパワーポイントのようなソフト)を導入したとき、最初に決断を迫られました。

トリミング、トランジション(アニメーション)、写真に載せる文字を、それぞれどうするか。

写真に傷をつけないという見方をするなら、従来からあるように画面の中に余裕をとって写真を置き、それを順に送っていくのがいちばんです。カラー写真は黒か濃いグレーの背景、モノクロは白か薄いグレーの背景で。「はい、次の写真は・・・」みたいな。

写真展を上映すると考えるならこれだけれど、プレゼンなのだと考えたらメッセージを添えて伝えなければならない。文字を置くならデザインする必要がある。自分にそれができるのか? パワポさえ満足に使えなかったのに。

飽きずに観てもらうためにアニメーションの効果を使ったほうがいいかもしれない。モニターのアスペクト比と写真のアスペクト比が違うので、トリミングするか、余白を作って配置するしかない。さて、どうしよう。

ちょうどこの時期、いろんなプレゼン(写真家に限らず)を見たけれど、参考にできるものが見つからなかったです。

 

最初に決断したのは、借りた資料などはなるべく使わないようにして、カメラの写真も撮り下ろそうと思ったこと。ものすごく時間かかります。でもちょうどいい角度の雰囲気のいい写真は自分で撮るしかない。そう覚悟を決めました。

どこに文字を置けばいいかは、写真家としての経験がきっと教えてくれるだろう。デザイナーのヘンリー・ペドロスキーが「人はだれでも常にデザインの勉強をしている。夕食を作って盛り付けるときだってそれはデザインなんだ」というようなことを書いています。

自分も写真を撮りながら「あの人はもうちょっと右にいるほうがいいな。そしたらあの左のビルとうまく響き合うから」とか考えていることを、文字をレイアウトするときに応用すればいいんだと。カルチェ・ブレッソンにデザインの素養があったかどうかは知りませんが、どっちのレイアウトが好きかといったことは、即答できたはず。

これが2013年のこと。

もうほとんど資料ができあがっていたのだけれど、よくあるパワーポイントみたいな大事なところが赤のゴシック太字で・・・というものだったのを、あるきっかけで全て作り直すことにしたので間に合うかどうか大変でした。

それで最初に撮り下ろして文字を載せたのが今回のサンプル。

デザインをしたというよりは”形態は機能に従う”の言葉のように、機能のために文字と写真が整理された良い例だと思います。

 

長いおまけ。

前回の最後に、この頃はまだ16:9じゃなくて4:3だったんだな、と書きました。今ほとんどの環境は16:9だと思います。とくにCP+は映像の祭典ということもあって上映機器も先端のものを使っているので、昨年にぼくが見たステージでそれ以外の比率のものはなかったように記憶しています。

4:3が主流だったときから16:9になり、間違いなく顕著なのは、縦位置の写真が劇的に減りました。撮ってないわけではなく、おそらく上映に不向きだからです。

webにも縦位置は向かないとされていて、でもロバート・フランク(だったと思う)がファッション誌に写真を持ち込んだとき「横位置が多くて扱いづらい」と注意されたらしいので、グラビア雑誌がメディアの華だった時代はむしろ縦位置が主流だったようです。

 

写真教室で教えるような、例えば「横位置は肉眼に近いから自然で落ち着きがあって共感しやすく、広角レンズを使ったとき広がりが表現しやすい。いっぽう縦位置は不自然な代わりに緊張感があり、とくに奥行きの表現に向いている」といったこととは無縁な、16:9での上映が増えたから、webで写真を見せることが増えたから、という事情で横位置の写真が増えているのだとしたら、現在の縦位置と横位置の比率は、写真の内容やモチーフの変化によるものではなく、時代背景によって強い影響を受けたことのひとつの例ということになります。

 

つづく。

 

 

 

 

 

kazuleo
2017年2月4日

やはり使われている写真は撮り下ろしですかぁ。スライドにピタリとハマる写真に、手間暇かけていることが滲み出ているので、毎回魅せられるとともに、次回はどうなんだろうと期待が膨らみます。

Yukio Uchida
2017年2月4日

そこについては第三話を楽しみに。

ブツの写真を借りるだけでも手間は劇的に減るんですが、どうしても馴染まないので仕方ないです。

カラーマッチングに厳しいけど写真の背景色やフォントにルーズとか、作品はすごいのに借りた資料をそのまま使うとか、そういうのに矛盾を感じて悩んだ時期あります。デザインについて考えたり、プレゼンの方法を考えるのは、写真家の役割じゃないと言われたり。

でもエレン・エイリアンという女性DJがいて、愛称「ビッチ・コントロール」と呼ばれていますが、彼女のライブを聞いて考えが変わりました。

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  • Yukio Uchida
    2017年5月28日

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  • Yukio Uchida
    2017年2月27日

    写真の誕生から190年。フィルム出荷本数のピークから20年。iPhoneの発表から10年。 ニコンショックと呼んでもいいようなニュースがあり、今年は写真にとって何かの節目であるような気がしているのですが、信じるか信じないかはアナタ次第。 ** 音楽に電気的な要素が増えたとき、手軽に扱えるようになる反面、作者のクリエイティビティはかえってソフトウェアの限界などの制約を受け、自覚しているかいないかは別として、やがて音楽は均質なものになっていってしまう とOval(ドイツのミュージシャン)が問題提起したのが90年代半ばのこと。 今の写真の状況は、これに似ているように感じることがあります。 Ovalは最終的に、CDにマジックで線を書いたり傷をつけたりして再生することで、そのノイズによって新しい音楽を生み出そうとするところまでエレクトロニカを推し進めます。 シュルレアリスムやモダンアートが、作為からいかに離れていくかを模索したのに似ている気もします。 でも細野晴臣さんによれば、これによってノイズがファッションのようになってしまい、それ自体がオブジェクト化してしまったと。ノイズは表現の手法のひとつだったはずが、それ自体が目的になってしまったということでしょう。 それ以前までのエレクトロニカは、新しいものを生み出すエネルギーが集約されていて聴いていて楽しい音楽だったけれど、Ovalの実験的手法を見たときに畏怖を感じたと、当時を振り返って語っていました。 ** 音楽は炭鉱のカナリアのごとく、先を進んで危険を教えてくれているのですが、このあと産業としての音楽は壊滅的なダメージを受け、ライブという体験に活路を見出すことになります。 CDは売れなくなっていくけれど、ライブの動員は増えていって、人は音楽を体験することを求めるようになるから。 それは音楽が原点に戻ったということだと思います。 ぼくは写真と二度の絶交をしています。それでも仲直りができたのは、三つの大きな要因がありました まずは過去の膨大なアーカイブの存在。 次に、そこから広がる世界・・・ぼくにとってはアートとファッションでした。 最後が、カメラというモノの魅力です。
  • Yukio Uchida
    2017年2月14日

    コナン・ドイルの偉大さは、シャーロック・ホームズという類まれなキャラクターを作り上げたことではなく、そのホームズの活躍や葛藤をワトソン博士という自我を持った存在が語る事件簿のスタイルへと構築し直したところにある。 というような記述を読んだことがあります。たしかに。 シャーロック・ホームズの一人称だったら、相当につまらなかっただろうと思います。翻訳のとき「僕」なのか「私」なのか興味あるけど、きっと「吾輩」だろうな。 プレゼンにも、そういうひと捻りがあるといいなと思います。 写真を撮ったのと別の人格で語ると面白い、というわけでなく、見せ方に工夫があるといいんじゃないかと。 そういうのエルスケンあたり上手そう。 欧米の写真家は、一般的にストーリー仕立てで写真を見せていくスタイルを好むようです。カメラとこんなふうに出会って、こういう経験があり、こういうところが気に入っていて、これからはこう使っていきたい、と。 改行とパラグラフがしっかりしているという感じ。文化としてそういう背景があるからでしょう。 一昨年だったかフジフイルムのステージに出たTomasz Lazarが、エルンスト・ハースの引用から始めてマルセル・プルーストの引用で締めくくっていて、かっこよかったです。場にフィットしてない感じは否めなかったけど。 ぼくはターゲットストーリーみたいなのを考えるのが好きで、ペンタックスQ-S1のときに男女ふたつのキャラクターを想像しました。 こういう遊び心、もっと広まるといいな。 インパクトがあるのは数字だけれど、長く心に残っていくのは物語だと思うから。でも「カメラのブツ撮りにストーリーをもたせよう」というのも普及させられないので、力不足を痛感しています。