©1994~ Yukio Uchida

Yukio Uchida
2017年2月5日

CP+ができるまで #3

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最終更新: 2017年2月6日

今日は外出の予定がないので、ほんとうにCP+に向けた資料作りです。

 

現在進行中の資料作りの話を書きながら、カットバックで過去の回想シーンが入る、というの悪くないかも。

マリメッコの映画を借りてきて見たら、劇中劇みたいな、マリメッコの創始者を演じる女優のドキュメンタリーみたいになっているという、ちょっと凝った構造になっていました。

マリメッコのファンだったらこういうのは望まないのではと、空回りしていたように感じたものの、冒頭の場面の光がものすごく美しかったです。

 

冬によく風邪をひくため、わりに早いうちに資料を8割くらいまで仕上げておいて、細かな手直しをしながらブラッシュアップしていくのが常ですが、扱う機種によっても違いはあります。

まだこの時期だと「もっと写真を撮り足そう」と頑張ることもあり、花を撮っているのはそのため。

花は、自分と機材の限界を知るには良い被写体だと考えているので、出かけると花屋さんを覗いて、撮ってみたい花があったら買ってきて・・・ということが多いです。そう書くと優雅なアーティストみたいだけれど、もっと圧倒的に生活感にまみれています。

 

Keynoteをコツコツいじるのは性格的にも向いていると思うので、写真の大きさや順番を変えながら、ディゾルブの時間を0.5秒から0.1秒ずつ長くしていって・・・みたいなことは苦痛じゃないです。

飽きたらプールに泳ぎに行ったり、新しく買ったCDを聴いたりしながら、上映イメージは思い描かないようにして、パソコンの画面だけに向き合って資料を整えます。

 

第二話のコメントのところに、エレン・エイリアンのライブを見て考えが変わったと書きました。

彼女はDJなので、他のアーティストの曲を使って楽しく踊れるダンスフロアをコントロールするのが役割です。自分でも曲を作っていて、そのミックス加減がすごく格好よくて美しかった。アンダーワールドもそう。

自分の作品を大事にしすぎるあまり、ドライブしていく感覚が損なわれるとライブである意味がなくなってしまうので、「じゃあ、次の写真を見てもらいましょう。これは夏に故郷に帰ったとき・・・」みたいな見せ方じゃなくて、ロックコンサートみたいな感じにしたいなと漠然と思い、資料を完全に作り直しました。

 

YouTubeなどに、Keynote講座とか、5分で人の心を掴むプレゼン術とか、いろんな動画があり、達人と言われているらしい人の講演も見たけれどぜんぜんピンとこなくて、すくなくとも最初に目標にしたのは三人のDJ・・・Ellen Allien、Four Tet、Darren Emersonでした。

でも音楽(多方向に広がって包んでくれる)と写真(一方向に真っ直ぐ進む)は違うので、それを置き換えるため、架空のカメラ雑誌を作ってページ捲っていくというコンセプトに考え方を変えました。表紙があって、グラビアがあって、コラムがあって、広告が入っていて。

そこで前回に書いたように、カメラの写真もなるべく撮り下ろそうとしたのが最初の決断。そこで必ず流れが途絶えてしまうから。

そこから現在までで、これ↓くらいまで推し進めました。

 

 

モノとしてかっこいい、美しいということだけでなく、物語を写真に撮れるのではないかと。ここにはロラン・バルトの影響もあります。

 

言葉を減らしてヴィジュアル化する、どんなことでもなるべくヴィジュアル化できないか考えてみる、というのがこの時期の目標で、「小さくて持ち運びに便利!」と書く代わりに、ポケットに入れた写真を撮るようにするなどの工夫をしてみました。

文字配置も、機能的に見やすいというだけでなく、デザイン的な要素を加えようとしたのが2014年から2015年にかけての挑戦。

 

 

これで嬉しかったのは、ヨドバシカメラの店頭トークショーのときに後ろのほうで外国人が見ていて、あとで「話していることはほとんどわからなかったけれど、カメラが美しいことと、それを持って旅に出たら楽しそうということは伝わりました」と言ってくれたこと。

写真が世界共通の言語だとは思っていません。言語学の本を読んでかじった程度の知識ですが、言語を理解するにも文化的な背景は必要で、写真は絵画よりは言葉のほうに近いと思うけれど、万国共通というのは誤謬だと思います。

でもデザインや写真のようなヴィジュアルが、言葉の壁を超えることはふつうにあることだと思います。

 

ちなみに2013年の今頃はこんな↓感じ。

Keynoteでよくあるノウハウとして

・写真は左に置くほうが安定する

・明朝ではなくゴシックを、そのほうが読みやすいから

・ドロップシャドウを付けると画面が映える

といったことが書かれているけれど、◯◯かよ!と思います。

でも人間が生態学的に左にあるものを先に認識しやすく、意味より形、形よりは色、色の中でも赤を最初に見てしまう習慣があり、それを利用すると印象を強くしやすいのは本当です。

でもそういうの使ってパワフルなプレゼンをするって、「吊り橋効果を使って好きな子と仲良くなろう! 恋の心理学」みたい。覚めちゃう。

 

 

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  • Yukio Uchida
    2017年5月28日

    イベントの感想や質問などあれば、こちらに書いていただけると、返信しやすいです。
  • Yukio Uchida
    2017年2月27日

    写真の誕生から190年。フィルム出荷本数のピークから20年。iPhoneの発表から10年。 ニコンショックと呼んでもいいようなニュースがあり、今年は写真にとって何かの節目であるような気がしているのですが、信じるか信じないかはアナタ次第。 ** 音楽に電気的な要素が増えたとき、手軽に扱えるようになる反面、作者のクリエイティビティはかえってソフトウェアの限界などの制約を受け、自覚しているかいないかは別として、やがて音楽は均質なものになっていってしまう とOval(ドイツのミュージシャン)が問題提起したのが90年代半ばのこと。 今の写真の状況は、これに似ているように感じることがあります。 Ovalは最終的に、CDにマジックで線を書いたり傷をつけたりして再生することで、そのノイズによって新しい音楽を生み出そうとするところまでエレクトロニカを推し進めます。 シュルレアリスムやモダンアートが、作為からいかに離れていくかを模索したのに似ている気もします。 でも細野晴臣さんによれば、これによってノイズがファッションのようになってしまい、それ自体がオブジェクト化してしまったと。ノイズは表現の手法のひとつだったはずが、それ自体が目的になってしまったということでしょう。 それ以前までのエレクトロニカは、新しいものを生み出すエネルギーが集約されていて聴いていて楽しい音楽だったけれど、Ovalの実験的手法を見たときに畏怖を感じたと、当時を振り返って語っていました。 ** 音楽は炭鉱のカナリアのごとく、先を進んで危険を教えてくれているのですが、このあと産業としての音楽は壊滅的なダメージを受け、ライブという体験に活路を見出すことになります。 CDは売れなくなっていくけれど、ライブの動員は増えていって、人は音楽を体験することを求めるようになるから。 それは音楽が原点に戻ったということだと思います。 ぼくは写真と二度の絶交をしています。それでも仲直りができたのは、三つの大きな要因がありました まずは過去の膨大なアーカイブの存在。 次に、そこから広がる世界・・・ぼくにとってはアートとファッションでした。 最後が、カメラというモノの魅力です。
  • Yukio Uchida
    2017年2月14日

    コナン・ドイルの偉大さは、シャーロック・ホームズという類まれなキャラクターを作り上げたことではなく、そのホームズの活躍や葛藤をワトソン博士という自我を持った存在が語る事件簿のスタイルへと構築し直したところにある。 というような記述を読んだことがあります。たしかに。 シャーロック・ホームズの一人称だったら、相当につまらなかっただろうと思います。翻訳のとき「僕」なのか「私」なのか興味あるけど、きっと「吾輩」だろうな。 プレゼンにも、そういうひと捻りがあるといいなと思います。 写真を撮ったのと別の人格で語ると面白い、というわけでなく、見せ方に工夫があるといいんじゃないかと。 そういうのエルスケンあたり上手そう。 欧米の写真家は、一般的にストーリー仕立てで写真を見せていくスタイルを好むようです。カメラとこんなふうに出会って、こういう経験があり、こういうところが気に入っていて、これからはこう使っていきたい、と。 改行とパラグラフがしっかりしているという感じ。文化としてそういう背景があるからでしょう。 一昨年だったかフジフイルムのステージに出たTomasz Lazarが、エルンスト・ハースの引用から始めてマルセル・プルーストの引用で締めくくっていて、かっこよかったです。場にフィットしてない感じは否めなかったけど。 ぼくはターゲットストーリーみたいなのを考えるのが好きで、ペンタックスQ-S1のときに男女ふたつのキャラクターを想像しました。 こういう遊び心、もっと広まるといいな。 インパクトがあるのは数字だけれど、長く心に残っていくのは物語だと思うから。でも「カメラのブツ撮りにストーリーをもたせよう」というのも普及させられないので、力不足を痛感しています。