©1994~ Yukio Uchida

Yukio Uchida
2017年2月7日

CP+ができるまで 2+2=5

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最終更新: 2017年2月7日

たくさんの人が見に来てくれるようになり、でもそのうち立ち見のほうが多いとか、視聴環境(モニターの大きさに対する距離や角度)に無理がある状況が増え、上映中の撮影など気になることもあって、そういった変化に対応できなかったです。常にライブを目指していたから。

「ここに正しい話があって私はそれをみんなに伝えるのです」というのが古典的なセミナーで、極論すればクラシックのコンサートはこのスタイル。風景写真などはそれが向いているかもしれないけれど、スナップってもっと環境とセッションするような感覚じゃないかと考えています。

 

できれば並行してワークショップをやりたいと思っていました。

ウチでどうですかといった話をもらい、検討もしてみたけれど、そのうち自分がやりたいのがワークショップなのか、トークショーなのか、写真教室なのかよくわからなくなってしまいました。

講師と生徒という関係ではなく、全員が体験から学ぶスタイルがいいからワークショップなのでしょうが、ワークショップは参加者が「これはセミナーではなくワークショップであって、答えを教えてもらうのではなく、自分たちで作り上げていくんだ」という意識で統一されていないと、なかなか難しいです。講師も生徒も不幸な結果になってしまう。これについては最後のところに資料を貼っておきます。

社会人を対象にすると回数が増えるほど参加がきつくなるため全四回くらいで、座学と実技があるようにしたいし、参加費を安く抑えるため、できればどこかスポンサードしてもらいたいけれど、制約などは少なくしたい。会場や集客などいろいろ悩んで、結局は実現できなかったです。

 

まだフィルムで初心者の教室をやっていたころ、そのステップアップ企画としてブツ撮り(といっても簡単なもの)をやりました。すごく楽しかった記憶があります。好きなものを持ち寄ってもらい、ジオラマみたいな感じでストーリーの演出を加え、グループごとにそれを撮ってもらって。「パリの休日、カフェにて」とかタイトルつけて発表して。

今ならデジタルなのでその場で上映できるはず。即プリでもいいし。

花を撮るのもいいなと思います。安くて誰でも手に入るもので、写真とカメラの基礎を学ぶのに適しているという意味で、日用品(愛用のカメラ!)のブツ撮りか、切り花は、いちどは体験してもらいたいし、将来的に何を撮っていきたいかに関わらず、ピントや露出の役割、光と被写体を見る目を養うのにすごくいいと思います。いつかその講師もやってみたい。

 

 

 

トークショーやってきて感謝していることは多く、ユーザー(でもあり写真を実際に撮っている人たち)と直に触れ合え、それによってカメラや写真の今後(もしくは現在)に関していろいろ考えることができたり、自分の写真がどんなふうに機能するか見つめ直す機会にもなって、学ぶことは多かったです。

もし「トークショーの依頼があるけど自信がないから迷ってる」という人がいたら、まずやってみることを勧めたいです。失うものも絶対にあるけれど、得るもののほうが多いと思います。そのためにここに自分の体験を残しました。

 

あれはいつだったか・・・2013年か2014年に、リハのときWi-Fiで子機を接続してコントロールしてうまくいっていたのだけれど、当日になったらものすごい混線をしてまったく動かなくなり、結局はMacにつきっきりでクリックしながら上映しました。あのスタイルあんまり好きじゃないです。ロックじゃないな、と思うから。

それで困ったとブログに書いたら、読者から「距離は限られるけれど赤外線のほうが確実で、自分たちの業界のプレゼンではそれを使っている人が多いですよ」と製品を紹介してくれました。コクヨの黒曜石というものです。超便利。しかも安い。

最初のうちは他で使っている人あまりいなかったし、離れたところからだとリモコンを操作しているのが見えないからか、お客さんから「トークのタイミングで写真を切り替えるスタッフさんがすごいですね」と言われたことあります。実際には、そこまで綿密なリハなんてできないです。映像と、文字の大きさと位置と、それぞれ確認しやすいスライドを用意して、それを上映して音声のチェックをするくらい。

 

この黒曜石のエピソードを書いたのは、シェアという考えの素晴らしさと、インタラクティブであることのよさに触れたかったから。

いいことに気づいたから自分だけのスキルとして秘密にして、それを利用しようというのではなく、シェアすることで別の能力を持った人や、違う角度からの考えを取り込んで、より大きく育てることができる。

なるべくコメントを大事にしようと思っているのと、答えよりも質問のほうが価値があると繰り返しているのは、そういった理由があります。

 

ぼくが現代アートについてのセミナーに客として参加したとき、三つ質問をしました。多すぎるかなと迷ったけれど、自分が逆の立場のとき質問してもらったら嬉しいことだと思ったから。

「三つもありますが、いいですか?」と確認したら、その人も同じように質問は価値のあるものだと考えていたようで、大歓迎ですよと言ってくれました。終わった後にお礼も言われた。

もしアートに興味があったら、この三つの質問がなんだったか考えてみてください。

ノーヒントだと厳しすぎるので、このセミナーのメインテーマが「日本のアートが海外で評価されている理由」で、スピーカー(講師)は外国人でアートの専門家。お客さんは様々でしたが、実際にアートを作る立場ではなく、見るのが好きとか、仕事で扱うとか、そういう人のほうが多い印象を受けました。

答えを書かないのは、ここをweb上のセミナーではなく、インタラクティブなワークショップのように育てたいと考えていることの証です。

 

自分がやりたいのはワークショップなのだ!と確信するきっかけになった本より。

でも日本ではワークショップという言葉の響きの良さだけが独り歩きしていて、これが実践できていることは稀だと思います。

 

 

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  • Yukio Uchida
    2017年5月28日

    イベントの感想や質問などあれば、こちらに書いていただけると、返信しやすいです。
  • Yukio Uchida
    2017年2月27日

    写真の誕生から190年。フィルム出荷本数のピークから20年。iPhoneの発表から10年。 ニコンショックと呼んでもいいようなニュースがあり、今年は写真にとって何かの節目であるような気がしているのですが、信じるか信じないかはアナタ次第。 ** 音楽に電気的な要素が増えたとき、手軽に扱えるようになる反面、作者のクリエイティビティはかえってソフトウェアの限界などの制約を受け、自覚しているかいないかは別として、やがて音楽は均質なものになっていってしまう とOval(ドイツのミュージシャン)が問題提起したのが90年代半ばのこと。 今の写真の状況は、これに似ているように感じることがあります。 Ovalは最終的に、CDにマジックで線を書いたり傷をつけたりして再生することで、そのノイズによって新しい音楽を生み出そうとするところまでエレクトロニカを推し進めます。 シュルレアリスムやモダンアートが、作為からいかに離れていくかを模索したのに似ている気もします。 でも細野晴臣さんによれば、これによってノイズがファッションのようになってしまい、それ自体がオブジェクト化してしまったと。ノイズは表現の手法のひとつだったはずが、それ自体が目的になってしまったということでしょう。 それ以前までのエレクトロニカは、新しいものを生み出すエネルギーが集約されていて聴いていて楽しい音楽だったけれど、Ovalの実験的手法を見たときに畏怖を感じたと、当時を振り返って語っていました。 ** 音楽は炭鉱のカナリアのごとく、先を進んで危険を教えてくれているのですが、このあと産業としての音楽は壊滅的なダメージを受け、ライブという体験に活路を見出すことになります。 CDは売れなくなっていくけれど、ライブの動員は増えていって、人は音楽を体験することを求めるようになるから。 それは音楽が原点に戻ったということだと思います。 ぼくは写真と二度の絶交をしています。それでも仲直りができたのは、三つの大きな要因がありました まずは過去の膨大なアーカイブの存在。 次に、そこから広がる世界・・・ぼくにとってはアートとファッションでした。 最後が、カメラというモノの魅力です。
  • Yukio Uchida
    2017年2月14日

    コナン・ドイルの偉大さは、シャーロック・ホームズという類まれなキャラクターを作り上げたことではなく、そのホームズの活躍や葛藤をワトソン博士という自我を持った存在が語る事件簿のスタイルへと構築し直したところにある。 というような記述を読んだことがあります。たしかに。 シャーロック・ホームズの一人称だったら、相当につまらなかっただろうと思います。翻訳のとき「僕」なのか「私」なのか興味あるけど、きっと「吾輩」だろうな。 プレゼンにも、そういうひと捻りがあるといいなと思います。 写真を撮ったのと別の人格で語ると面白い、というわけでなく、見せ方に工夫があるといいんじゃないかと。 そういうのエルスケンあたり上手そう。 欧米の写真家は、一般的にストーリー仕立てで写真を見せていくスタイルを好むようです。カメラとこんなふうに出会って、こういう経験があり、こういうところが気に入っていて、これからはこう使っていきたい、と。 改行とパラグラフがしっかりしているという感じ。文化としてそういう背景があるからでしょう。 一昨年だったかフジフイルムのステージに出たTomasz Lazarが、エルンスト・ハースの引用から始めてマルセル・プルーストの引用で締めくくっていて、かっこよかったです。場にフィットしてない感じは否めなかったけど。 ぼくはターゲットストーリーみたいなのを考えるのが好きで、ペンタックスQ-S1のときに男女ふたつのキャラクターを想像しました。 こういう遊び心、もっと広まるといいな。 インパクトがあるのは数字だけれど、長く心に残っていくのは物語だと思うから。でも「カメラのブツ撮りにストーリーをもたせよう」というのも普及させられないので、力不足を痛感しています。