©1994~ Yukio Uchida

Yukio Uchida
2017年5月7日

slight return

2件のコメント

 

 

イベントの感想や質問などあれば、こちらに書いていただけると、返信しやすいです。

naoki_tamura
2017年5月28日

今日、ウエノノウチダのギャラリートークに参加しました。

最近は撮った写真をブログにその日の1枚としてアップして写真を楽しんでいましたが、プリントして並べて飾って見たいと思いました。

音楽のカセットを作るように順番と構成を考えて編むように楽しむ。

お話、良かったです。ありがとうございました。

Yukio Uchida
2017年5月28日

ありがとうございました。

イベントやると悔いしか残らないのですが、そう言ってもらえると心休まります。

ぼくは写真については音楽から学びました。

楽しみながら、視野を広げていってください。

最新記事
  • Yukio Uchida
    2017年2月27日

    写真の誕生から190年。フィルム出荷本数のピークから20年。iPhoneの発表から10年。 ニコンショックと呼んでもいいようなニュースがあり、今年は写真にとって何かの節目であるような気がしているのですが、信じるか信じないかはアナタ次第。 ** 音楽に電気的な要素が増えたとき、手軽に扱えるようになる反面、作者のクリエイティビティはかえってソフトウェアの限界などの制約を受け、自覚しているかいないかは別として、やがて音楽は均質なものになっていってしまう とOval(ドイツのミュージシャン)が問題提起したのが90年代半ばのこと。 今の写真の状況は、これに似ているように感じることがあります。 Ovalは最終的に、CDにマジックで線を書いたり傷をつけたりして再生することで、そのノイズによって新しい音楽を生み出そうとするところまでエレクトロニカを推し進めます。 シュルレアリスムやモダンアートが、作為からいかに離れていくかを模索したのに似ている気もします。 でも細野晴臣さんによれば、これによってノイズがファッションのようになってしまい、それ自体がオブジェクト化してしまったと。ノイズは表現の手法のひとつだったはずが、それ自体が目的になってしまったということでしょう。 それ以前までのエレクトロニカは、新しいものを生み出すエネルギーが集約されていて聴いていて楽しい音楽だったけれど、Ovalの実験的手法を見たときに畏怖を感じたと、当時を振り返って語っていました。 ** 音楽は炭鉱のカナリアのごとく、先を進んで危険を教えてくれているのですが、このあと産業としての音楽は壊滅的なダメージを受け、ライブという体験に活路を見出すことになります。 CDは売れなくなっていくけれど、ライブの動員は増えていって、人は音楽を体験することを求めるようになるから。 それは音楽が原点に戻ったということだと思います。 ぼくは写真と二度の絶交をしています。それでも仲直りができたのは、三つの大きな要因がありました まずは過去の膨大なアーカイブの存在。 次に、そこから広がる世界・・・ぼくにとってはアートとファッションでした。 最後が、カメラというモノの魅力です。
  • Yukio Uchida
    2017年2月14日

    コナン・ドイルの偉大さは、シャーロック・ホームズという類まれなキャラクターを作り上げたことではなく、そのホームズの活躍や葛藤をワトソン博士という自我を持った存在が語る事件簿のスタイルへと構築し直したところにある。 というような記述を読んだことがあります。たしかに。 シャーロック・ホームズの一人称だったら、相当につまらなかっただろうと思います。翻訳のとき「僕」なのか「私」なのか興味あるけど、きっと「吾輩」だろうな。 プレゼンにも、そういうひと捻りがあるといいなと思います。 写真を撮ったのと別の人格で語ると面白い、というわけでなく、見せ方に工夫があるといいんじゃないかと。 そういうのエルスケンあたり上手そう。 欧米の写真家は、一般的にストーリー仕立てで写真を見せていくスタイルを好むようです。カメラとこんなふうに出会って、こういう経験があり、こういうところが気に入っていて、これからはこう使っていきたい、と。 改行とパラグラフがしっかりしているという感じ。文化としてそういう背景があるからでしょう。 一昨年だったかフジフイルムのステージに出たTomasz Lazarが、エルンスト・ハースの引用から始めてマルセル・プルーストの引用で締めくくっていて、かっこよかったです。場にフィットしてない感じは否めなかったけど。 ぼくはターゲットストーリーみたいなのを考えるのが好きで、ペンタックスQ-S1のときに男女ふたつのキャラクターを想像しました。 こういう遊び心、もっと広まるといいな。 インパクトがあるのは数字だけれど、長く心に残っていくのは物語だと思うから。でも「カメラのブツ撮りにストーリーをもたせよう」というのも普及させられないので、力不足を痛感しています。
  • Yukio Uchida
    2017年2月12日

    ぼくが小学生の頃は日本カメラショーという名前だったと思うけれど、ものすごく憧れていたのに見に行く機会はついになかったです。まだ横浜に住んでたから無理じゃなかったはずなのに。なんでだろう。 そのあと引っ越して佐渡に住むようになり、次に上京するときには写真をいったん止めちゃうから、結局カメラショーに純粋な客として行ったことないかもしれません。 子どもの頃に想像していたのは、各メーカーがカメラの未来を提案している様子。P.K.ディックの小説みたいに、朝起きると写真と音楽と新聞がひとつの画面に現れて、体調や気分や趣向に合わせてそれが変わっていく・・・ これiPadだ!!  いままでカメラを見てきて「うぉ、未来だ!」と思ったのは、まずキヤノンがT90を出したとき。デザインが未来を感じさせました。 次がEOS 5QD(フィルム)の視線入力。この後どんな進化をしていくんだろうとワクワクしました。 そのあとはX100のハイブリッドビューファインダーを見たときかも。「電子レンジとウォークマン以来の衝撃!」と言ったくらいだから。 そんなこと思い出しながら、いまKeynoteに向き合っています。 今年の目標があって、写真を順に並べてカタログデータやメニューの拡大図を混ぜながら展開していくというようなスタイルを過去のものにする、新しい見せ方を提案したいということ。たぶんリコーのステージはそれに近いことができると思います。 もうひとつは、拍手か歓声が上がるような瞬間を作りたいということ。それも「思わず」という感じで。 上の写真はシグマのsd Quattro Hで撮りました。 こちらは、ミニマルで洗練されたプレゼンにしたいと思っています。