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カメラはスマホを超える

ジョブズがiPhoneの発表のとき話したように、もうガラケーでは多機能に対応できず、アプリごとに理想の操作系が違うから、タッチパネルによるコントロールに未来を託した結果が、エンタメからビジネス、コミュニケーションまで、すべてがスマホに吸収合併されたような形になったんだと思います。

潜在的な欲求が熱となって蓄積され、卵だったテクノロジーをヒナにかえし、哲学者と芸術家の両面を持った類まれなカリスマが、大衆の見ている空に解き放った。

あのときジョブズがアップルの最高権力者だったことは、21世紀の奇跡と言っていいと思います。経営者が製品で未来を変えるなんて。しかも僕たちは、そのビフォーアフターを体験して生きています。ただひとつの製品が、それまであったいろんなものを一気に包有する瞬間を体験した。

というわけでiPhoneがあったからそれができたというよりも、あのときすでに世界がiPhoneのようなものを求めていたと考えるのが正しいのかも。マクルーハンも、新しいメディアが登場したとき、古いメディアはそのコンテンツとして残っていくと書いていました。たとえば映画が、テレビのプログラムのひとつになったように。

カメラは間違いなくそのひとつ。

でもその一方で、カメラを超使いこなしたら、スマホを超える便利さがあるのではと昨年末くらいから思っています。

うちにたくさんのカメラがあるので、カテゴリー分けして、作品撮り用だけでなく、日記の代わりとかにも使っています。

そうだぼくには、この色んな機能を、ほとんど自在に扱うことができるんだ、と妙な感覚を得ました。映画「マトリックス」のなかで、キアヌ・リーブスがモーフィアスから「早く動こうとするんじゃない。早く動けることを知れ」と教えられたように。

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