KYOTOGRAPHIE 雑感
会期のなかば、GWのアタマ、という日に京都国際写真祭=KYOTOGRAPHIEを見てきました。
まずは圧倒的なロケーションの良さに感激しました。
点在するギャラリーを周りながら京都も満喫できるという素晴らしさ! パンフレットに御朱印帳かスタンプラリーみたいな機能をもたせ、コンプリートへの欲求を煽るのもいいんじゃないかと思わせるくらいでした。
でも無理してたくさん回ろうとするよりも、気に入ったものを長く見ることを現代のアートでは推奨しているようです。人の流れや周りの人のペースなど気にせず、心に引っかかるものがあったら、腑に落ちるまでその作品と対峙するのをおすすめします。 一般論として、写真は壁に飾るしかないのでスペースを有効活用するのが難しく、ギャラリーの多くはホワイトキューブと呼ばれる白い壁面の空間が多いのだけれど、このKYOTOGRAPHIEは歴史的建築物と共生している姿も美しかったです。照明など設営に苦労は多かったはずなのに、それを感じさせませんでした。見づらいところがあっても、それを見ようとすることで深くコミットできました。
個人的に、メイプルソープには自然光と風が抜ける空間は合わないように感じましたが、建物はいちばん印象に残っています。
あと、アニエスb.再燃。アニエスb.はブランド創設のときからずっとギャラリーや写真展、映画などと関わりを持ち続けてきていて、ポップカルチャーと並列してアートを支援し、ブランドもそこからインスピレーションを受け続け、美しい関係を維持してきました。素晴らしい。たまには買って着ようかな、そうして応援したいと思わせました。
観光を目的に京都を回ったときよりも、京都っていいところだな、ほんとうにいい町だなと感じました。
ギャラリーを出るたび新しい目を得ることができるのと、ふだんは通らない道を巡ることになるからです。これはアートの効能だと思います。
とくに無名舎のヤン・カレンのインスタレーションを見て、会場を後にしようとしたときに「台所もどうぞ」と係の人に促されてそこに立ち入ったとき、それを強く感じました。
現代アートのセミナーに参加したとき、アーティストの本心として「情報は発信したい、多くの人に知ってほしい」とSNSやネットを活用したいけれど、そうすると直に足を運んでもらえなくなってしまうことで悩んでいるという話題がありました。いま世界中のアーティストが抱えている問題のようです。
”アートは見て情報を得ることがゴールではなく、それを体験することに意味がある”と強く感じました。それは今回のテーマが「LOVE」だったことと絡めると、肉体性と精神性という問題に広げて考えることができると思います。
これから見る人がいたら、脱ぎ履きしやすい靴と、小さめのリュックがおすすめです。ほとんどの会場は撮影可能なのでカメラも忘れずに。移動のあいだの町並みも撮ると、変化していく自分の心も残って、素敵なアルバムになると思います。
偉そうにアドバイスするなら、心にひとつでいいから強く残るものを標として刻むこと、変化していく自分を省みること、わからないことを恐れないこと、の三点を。