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マグナムを語る、への道 #3

今回の16人を選んだ理由に関して、主催側は”多様性”を挙げていました。

これは重要なことです。北米、西欧、南米、アジア・・・、世界地図を塗り分けるように写真家を配したわけではないでしょうが、作品のスタイルだけでなく、出自に関しても幅広い選択となっています。

ぼくは複数の声と複数の視点が、今回の企画展を掘り下げて見るときの軸になると考えています。声のほうについてはトークショーで触れる予定があるので、ここでは複数の視点について。

トーマス・ドボルザック(来日します。パーティーで会える予定)という写真家がいて、この名前から作曲家のドボルザークを連想する人は多いでしょう。ドヴォルザークはチェコ出身で、アメリカに移住したときにその印象から「新世界より」を作曲しました。

トーマスは、父がチェコスロバキアから追放されて難民になり、グルシアに住んだ時期の体験について、作品に添えて書いています。

スイスから夢を抱いてアメリカにやって来たロバート・フランクが、失望から「The Americans」を撮ったように、移民のような「引き裂かれた複数の視線」が現代のドキュメンタリーに深みと奥行きを与えるのは間違いありません。

日本にずっと住んでいると、生まれた国と、育った国と、いま住んでいる国が別々で、それぞれで育まれた視線が対立するってこと、完璧には理解できないですけれど。

今回は参加していませんが、マグナムにジョセフ・クーデルカという写真家がいて、チェコスロバキアの出身で、代表作のタイトルが「Exiles」という、今回のテーマにもってこいの人がいます。複数の声と複数の視点を、持たざるを得なかった。

ファッション写真家のヨーガン・テラーが、クーデルカについて語っています。

「多くの写真家がそうしたように、異郷や僻地に赴き、変わった、貧しい、痛ましい現実を撮っているドキュメンタリーに興味はない。実はそれらは簡単だ。けれどもぼくはもっと小さくとも、この世界のささやかに美しい真実を追っていける写真家でありたい。クーデルカは、真剣に生きている人々の生命感をさりげなく捉えながら、人生の息吹として、喜怒哀楽までに渡る広いレンジの詩を投げかけられる写真の魅力へと立戻らせてくれるのだ」

ヨーガン・テラーといえばジェネレーションXを代表する、つまりは21世紀にもっとも成功したファッション写真家のひとりです。その彼がこんなこと言うところに、欧米の写真文化の厚みを感じないわけにはいきません。

ちょっと前から、作家の名前はその国の表記に近づけるべきではないかという運動があって、ジョセフ・クーデルカはWikipediaを見てもヨゼフ・コウデルカとなっています。

これによって彼が東欧出身であることがすぐにわかるなら良い点もありますが、そんなことより先にやることあるんじゃないかっていつも思います。クーデルカは現在を生きている。

写真でもよく使う「パースペクティブ」という言葉は、確かに遠近感を意味します。でもそれは特定の視点から見たときの価値観であり、もとは神から見た視線で、それをスティーグリッツが下界に降ろし、ロバート・フランクが個それぞれに広げました。

「HOME」のような普遍的なテーマに関していえば、視点がどこにあるかは重要な意味を持っているはずです。それが作家の人生とどうリンクしているか、見どころのひとつ。

それを理解するためにバイオグラフィーをことさら熱心に見る必要はないと考えています。

写真に現れるものだから。でも今回のようなテーマの場合、生まれた家と、育った家と、いま住んでいる家が違うことが、作品に強い影響をもたらしていることは、意識しながら見ることをお勧めします。それが多様性であり、現在の世界を捉えるほぼ唯一の方法だと思うので。

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