「HOME」について語るとき我々の
写真の道を志している、もしくはいつか写真と仕事で関われたらと願っている人に、捧げて書きます。
僕は、この仕事を始めたときからフリーランスなので、どんな仕事でも何かしら「僕である意味」があったのだろうと思っています。
自分ではそれが何かは自覚できていなくても、誇りと責任はもってやってきました。あのヨーガン・テラーでさえ、「納得のいかない仕事に、自分の名前が添えられて発表されるほど辛いことはない」と語っていて、もちろん仕事にするというのはそういう辛さもあります。
好きで読んでいた本、たくさん見てきた映画、絵画、ファッション、写真よりも長く一緒にいた音楽、すべてが今の僕が仕事をしていくうえですごく大切な財産で、どれひとつとして無駄なものはなかったと言い切れます。
それでも「これが天職だな」とか「オレにしかできないことだ!」と思ったことはなかったです。
でもさっき「HOME」展を見ていて、たくさんの関係者と話すことができて、ふと思いました。
僕はフジキナのとき登壇者としてプロジェクト発表の場にいて、過去にトークショーをやったことがあるおかげでマグナムと縁があり、X RAW STUDIOのビデオ制作のときに動画チームと関わりを持てていて、今回の参加作家ほぼ全ての代表作(あるいは作品のスタイル)を知っていて、純粋にファンとして楽しみにしていて、しかもXユーザーと直に接しています。
体験の貴重さを考えれば、僕にしかできないことはあると思う。
僕は写真が、アプリオリに(つまりは先天的に)価値を持っていて、見る人はその滋養を吸収するのだ、という考えには賛成できません。見る人がコミットして、その写真と積極的に関わって、はじめて価値は生まれます。
その際に、知識、経験、作者のステイトメント、いろんなものが参考にできるけれど、ただひとつの正解があるわけではない。
向こう岸とこちらとのあいだには、深い川が流れています。
世界中のカメラのほとんどは日本で作られているけれど、観るほうから考えて写真を取り巻く環境が整備されているとは言い難いです。マグナムの、つまりはトッププロの集まりとはいえ、すべての作家が知られているとは思えない。
そのために「渡りやすい橋を架ける」のが、今回の僕の役割かなと考えています。美しい橋をデザインして、少しでも多くの人にそこを渡ってもらいたい。
写真集もすごく出来が良いけれど、やっぱり目録であり、ぜひともオリジナルを見てもらいたいです。
それぞれの作家のインタビューや撮影風景まで含めて、何年かに一度、もしかしたら十数年に一度くらいの企画展だと思います。そこに関われるのはとても光栄です。
カメラメーカーが関わっていることを、避けるのでも批判するのでもなく、しっかりと受け止めて、そのうえでそれぞれの作家たちの声に耳を傾けてみてもらいたいです。
参加作家を代表してトーマス・ドボルザックと、通訳を務めてくださった中山さん、ビデオのディレクターである江夏さんと、音楽家であるそのお兄さんに、すごく大切なことを教えてもらいました。感謝します。
パーティー苦手だけれど、たまには出るものだなって思いました。みんな僕のことを知っていて、お願いすれば知りたいことを教えてくれます。
遠いところの小さな仕事も、見てくれているんだなって嬉しかったです。
ウチダさんの一番の良さは、何と言ってもその熱量だと思いますよ、と言ってもらいました。トークショー頑張ります。
MAGNUM FUJIFILM 共同プロジェクト「HOME」展オフィシャルサイト
僕のトークショーの日程なども、こちらを参照してください。