Requiem for SLR
初めてのカメラは一眼レフでした。ニコマートELに50mmF1.4が付いていた。
最初に魅せられたのはファインダーで、それを通して見るとなんでもないものが特別に感じられることが好きでした。シャッターは切らなくてもファインダーを覗いて、部屋や家族を見ているだけで楽しかった。
それは「写真よりもずっと前からカメラはあって、人はそこから世界を見ることが好きだった」という歴史的な事実が裏づけています。
目では捉えられない瞬間が撮れるとか、暗室作業の魔術的な喜びとか、精緻なメカの魅力とか、そういったことよりまずはファインダーでした。
いろんな写真教室をやってきて、良い写真を撮るということだけにフォーカスすれば、高級コンパクトや写ルンですみたいなカメラのほうがずっと結果がよいこともありました。
でも初心者が、一発で写真というものに恋に落ちるように夢中になっていく、高揚感と没入感に限って言えば、一眼レフに勝るものはなかったように思います。
最初に撮った写真を見るのがリバーサルフィルムだったから、というのも理由のひとつだったかもしれません。ルーペでライトボックスに乗せられたフィルムを覗くことや、暗い部屋(カメラ・オブスキュラ!)で投影される映像を見る体験は、とくべつなものなので。
そんな自分の体験を振り返って、ミラーボックスとプリズムが、カメラの図体に影響を与えて環境にそぐわなくなってきて、恐竜のごとく生き残っていくのが難しくなった現在でも、できれば写真を始める最初には一眼レフを体験してもらいたいです。
スマホの画面がどんなに大きく鮮明だとしても、テレビと映画くらいの差はあると思います。
一眼レフは不思議な構造をしていて、最高の瞬間だと思ってシャッターを切ると、そのときだけブラックアウトして見えなくなってしまいます。最高の瞬間なのに、自分では見られない。カメラと写真を信じて、目と心に焼き付けるのを諦め、託するしかない。
一ヶ月に10本のフィルムを費やしたとしたら相当な写真ファンです。一年だと120本。シャッターの回数に換算するとおよそ4,800回。ニコンFの発売が1959年だったはずだから、かける60年で、28万8千回。暗いところも明るいところもあっただろうけれど、平均値を1/60秒としたら、4800秒。80分。
成人になったときにニコンFを買って、ずっと夢中になって写真を撮り続けてきて、いま80歳くらいになっているとして、短編映画くらいの時間を目をつぶって写真に託してきたことになります。それがミラーレスになったらカメラと自分とでシェアできるんだよ、なんて思えません。
80分といえば、フランソワ・オゾン監督の「ぼくを葬(おく)る」がちょうどその長さでした。主人公は売れっ子の写真家です。
一眼レフと出会わなかったら、多分いま写真家をやっていなかったと思います。一度あきらめた後に、病院に通う日々のなかでショーウィンドウに並ぶカメラを見て写真を再開することもなかったかもしれない。
だから今、ぼくを葬るような心境でいます。