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続・次世代のカメラに望むこと

フォトキナが終わり、ニュースで知り得たかぎりの情報を見て意外だったのは、AIをテーマに加えた製品がなかったこと。

家電、自動車、スマートフォンなどの流れから、次のトレンドとまでは言わないまでも、機能に組み込まれた製品の発表があるかもしれないと思っていたので。

Huaweiのスマートフォンの説明をネットで見ると、ほとんどの人が”ライカのカメラ””AIのカメラ”と認識しているようです。そのおかげで画質がすごいらしい、と。

ブランド信仰とテクノロジー崇拝、というとHuaweiの機能が実際は劣っているみたいな言い方になりますが、歴史あるブランドの技術力と、先端テクノロジーによって、カメラは便利で高画質になるんだという神話は生き続けている。

HuaweiのAIは、発表されている資料によれば一億枚の画像をラーニングして被写体認識に活かしているそうです。

コンピューターがひとつの言語の文法を漠然と把握するために250億くらいの例文が必要らしいので、画像認識とそれによってどんなサポートを用意するか、まだ発展の余地があるかもしれません。

カメラが撮影者にしてあげられること、という言い方がいちばん近いですが、まずは露出が自動になり、次にピントが自動になって、手ブレを補正するようになりました。

フィルム装填を忘れちゃった、バッテリー持ってこなかった、そういうエラーではなく「写真の失敗ベスト3」みたいなものは、とりあえずカメラ側がサポートできます。

でも、これはすべてフィルム時代からある機能です。

ここにデジタルテクノロジーが加わって、第四のサポートをどういったかたちでするのか、自動車なら安全が最優先でしょうし、家電なら利便性、スマートフォンなら操作性とアプリ間の相互作用になると思うのだけれど、カメラの場合は何になるのか。

しかも楽しみをスポイルしないで、どこまでのサポートができるか。おせっかいと親切の境界線は、カメラにとって非常に曖昧なところにあると感じます。

デジタルカメラの一番の長所は、今この瞬間にシャッターを切ったらどんな画像になるのかを、そのカメラ自体は知っているってことだと思うから、ミラーも排除した今となってはカメラ全体をコントロールできる。 「マトリックス」で預言者が「その花瓶のことだったら気にしなくていいのよ」と告げたように、未来を先取りしてフィードバックを与えることもできるのでは。 富士フイルムのキャンペーンで、通称"エボレボ”と呼ばれる、Evolution to Revolutionというのがあって、重い機材を持った旧人類が機材の軽量化によって進化していくようなストーリーがイラスト化されています。 でもこのいちばん右に「2001年 宇宙の旅」でモノリスを与えられた猿みたいなイラストを付け加えて、スマートフォンを握りしめたところから再スタートの状態になっていると考えることもできます。 そうなると、もしかしたらゲーム機器が取り入れているような、扱う楽しみ、使い心地、みたいな原点に帰ることが基軸になるのかもしれないし、撮影者と一緒に成長していく「ご主人様を覚えてくれる」カメラが登場するのかもと思います。

もしかしたらエラーが起きた写真、つまりはうまく撮れなかった写真のほうを熱心に収集して分析しているチームがどこかにいるのかもしれない。街に出て、撮影している人の姿を観察して、カメラをどう扱い何に戸惑っているかをリサーチしているかもしれない。

その具体的なかたちが見えてくるのはそろそろじゃないかと期待しています。

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