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着替えるようにイメージをコントロール GR編

最初にちょっと難しいことを言うと、ロラン・バルトはみんながスタイルと呼んでいるようなこと、つまりカメラのフォーマットとか色合いとかいったことはエクリチュールと呼んで「それらは着替えるように交換可能なのだ」と。

で、その着替える人の体型や、服の好み、着こなしのセンスのように、年月によって形成されたものこそがスタイルなんだと。(エクリチュールという言葉に対して正しくいうならスティル)


ついでに書いておくと、そのファッションの価値(オシャレだとか、今っぽいとか、ドレッシーだとか)は時代や文化、受け止める人たちによって定義されるから、その土壌(ルールと言ってもいい)をラングと定義しました。


バルトらしいのは、そう呼ぶことが正しいんだと提案するのではなく、新しい言葉を持ってきて視点を変えることで、それまで見えづらかったものをバッサリと切り分けてしまうところ。 大事なのが、エクリチュールを変えるとスタイルにも影響を及ぼすと指摘したこと。ライダースジャケットを着て細いブラックジーンズを履くと、ちょっと悪ぶった口調になるみたいな。ドレスやハイヒールにもそういった効果があるのかもしれません。 撮った後で画像をソフトで加工したり、RAW現像でコントロールするのと、決定的な違いがここ。


・・・と言ったことを、頭の隅に置いておいて、イメージコントロールを変えながら街歩きを楽しむと、たぶん新しい発見があると思います。

スランプのときに気分転換しやすいし、守らなければいけないものと、気分で変えていいものとがはっきりして、自由になれるかもしれません。


とくにデジタルになって、ボタン操作で簡単に色合いや諧調が変えられるようになったから、バルトが提案したこの考えはぐっと理解しやすくなったように思います。

クロストークのとき、いま二台で六つを登録してあると紹介しましたが、下にそのうち四つをアップしておきます。いつまでアーカイブを見られるかわからないので。 これを二時間でチューニングしながら撮ったのだと考えると、「じゃあその核になっているスタイルは?」と新しい視点が持てるのでは。

印象が強く、光源などに対してタフで、スクエアフォーマットの力を借りてじゃんじゃん撮っていける。



人工光、とくに今のLEDみたいに味わいのない光で、緊張感があるような。



人の配置や直線がグラフィカルになるようコントラストは高めだけれど、壁や道のディテールを失わない。



主題を際立てつつ、少しセンチメンタルになって情感が加わる。

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