写真の前からカメラはあった

およそ十年前、ジョブズがiPhoneを発表したプレゼンは伝説となっていますが、いま見直されるべき重要な点があります。

ぼくはX-Pro2のプレゼンでこのパロディをやるため動画を擦り切れるくらい見て、ほぼ暗記したので、ジョブズの動きまで脳の中でプレイバックできるくらいです。

まず「約二年半のあいだ今日を待っていた」ということで、コンセプトから製品化までに二年半の年月が必要だったことがわかります。

iPhoneは2007年にリリースされた製品なので、少なくとも2005年にはおよそ現在の状況をシミュレーションできていたことになります。ああいう画期的な製品はリリースのタイミングではなく、未来を見て作られるから。

テクノロジーはまだまだ進化して、iPhoneの性能も向上していき、他メーカーが追従してくるだろうけれど、基本的な構造はこうあるべきだ、というヴィジョンはすでに完成されていたことに驚きます。

ジョブズは、従来の携帯電話には致命的な弱点があると最初に指摘しました。

ボタン操作を基準にしている限りは、複数の機能を持たせることができない。いろんなアプリを立ち上げ、メールを書き、音楽を聴き、写真を撮り、ゲームをやり、SNSに投稿して・・・といったことのために、大きなタッチパネルを採用しました。インターフェイスはアプリが支配したほうが使い勝手が良いから。

およそテクノロジーが関わっているもので、人が大型化を喜んで受け入れたものは、テレビとスマホくらいだと思います。それくらい人は大きな画面が好きです。だからこれは画期的なことでした。日用品が大きくなることに必然的な意味を与えたから。

ジョブズらしい演出ですが、これから紹介するのは三つの画期的なアイテムですと言い、ひとつめは先に書いた大きなタッチパネルを採用したiPod、ふたつめは進化した多機能な携帯電話。

みっつめは見落とされがちですが、日常を楽しくするコミュニケーションツールでした。でも残念なことに、ジョブズは音楽と人との関わりはデザインできたけれど、写真と人との関わりをデザインするところまで生きることができなかった。

マクルーハンが指摘していたように、新しいメディアが繁栄すると、古いメディアはそのコンテンツとして吸収され生き残って行くとされています。映画がテレビ番組のひとつになったように。いまやカメラはスマホに欠かせない機能となっています。

スマホの歴史もおよそ十年ですが、デジタルカメラの時代もおよそ十年と言われています。スマホとデジタルカメラは、別々の道を選んであるゴールを目指してきたようです。安易に考えると、デジカメを追い越すためにスマホは近道を探していたように思ってしまいがちですが、それは誤謬です。それぞれが気づかないうちに、その道は交錯していたのかもしれません。

アップルのデザイナー、ジョナサン・アイブはiPhone発表当時の携帯電話について「テクノロジーをユーザビリティに使えていない。不誠実な製品が多いと感じていた」と話しています。

そういえば、新製品のカメラがリリースされたとき、性能と機能以外の、つまりは”新しい写真との関わりをテクノロジーがどう橋渡しをするか”ということを、ヴィジョンとともに明示したのを見た記憶がほとんどありません。

外で音楽を聴きたいという、カタチになっていなかった潜在的欲求をかなえるため、ウォークマンは誕生しました。

チューブ入りの絵の具を手に入れた画家たちが、外に出て光を浴び、やがて印象派を生んだように、ウォークマンは音楽のあり方にまで影響を与えました。アジカンの後藤さんなどは、自分のファンはヘッドフォンで音楽を聴くほうが多いだろうからそれを考慮してレコーディングしていると公言しています。

レコードがCDになり、音源ファイルになったことで、音楽が持っている魔術的な魅力は無くなったと指摘する人もいます。MP3の時代にマイルス・デイヴィスは登場しなかったかもしれません。

結果としてCD(含む音源)は売れなくなり、逆にライブの動員が増えました。ウォークマンが作り上げた音楽との楽しみは、高級ヘッドフォンやDAP(デジタルオーディオプレイヤー)にこだわるコアなファンを育てました。新興メーカーが参入する余地があり、小さなバブルもあるようです。レコードの良さが見直されているという心温まるニュースも目にします。

音楽は、いつも写真よりもちょっとだけ先を歩んで、炭鉱のカナリアみたいに危険を教えてくれているように思います。ニーチェが言ったように、音楽に比べたらあらゆる現象は比喩です。

写真がどんな危険を抱えていて、どうなっていけば未来も楽しいものであり続けられるのか、今年はその大きな変革期であるように感じています。

でもP20 Proはカメラに改革を促す黒船ではありません。明治の知識人みたいに悩む必要はないと思います。それが望んでいるのは共存であり、写真に残しておきたい感動を、カメラとスマホ、"私”とみんな、でシェアすることです。 「あ〜あ、最高の出会いなのにカメラを持ってくるのを忘れちゃったよ」というような瞬間に、でもスマホの画質じゃあな・・・というところを、しっかりケアしてくれるでしょう。

画質ってオタクな人たちだけのためにあるんじゃないってことを感じてもらえたら、プロのスキルや高い機材の役割も見直されると思います。 そうして写真がただひたすらに自動生成され、消費されていくフェイズから、改善されることを願っています。

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